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祖母の生きる故郷

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

せっかく、はてなブログで記事を書かせて貰っているので、今週のお題に初チャレンジしてみようと思います!いつもとは全く趣向が違いますがご容赦下さい。

私のおじいちゃん・おばあちゃんはもう既に亡くなっていますが、天国にいるおじいちゃん・おばあちゃんを思い浮かべながら、思い出を振り返ってみます。

祖母の生きる故郷

祖父母が亡き今、祖父母の存在を振り返ると、祖父母の存在は自分が幼少期を過ごした故郷の思い出と密接に絡み合っていることに気付かされる。今の自分を形作ってくれた故郷での日々、故郷の思い出の中に祖父母は生き続けている。

18年間過ごしてきた故郷に退屈さを感じ、大学進学と共に東京に出てきた。東京での日々は刺激に満ち溢れていた。楽しいことや辛いことが怒涛のように押し寄せ、慌ただしい毎日が滔々と流れ過ぎる。

上京してからというもの、年に数回の故郷への帰省が、年に一回になり、数年に一回になっていった。刺激に満ち溢れた東京での日々。故郷を思い返すことは次第になくなっていった。

慌ただしくも充実した日々を過ごす中、祖母が入院したとの知らせがあった。久しぶりに再会した祖母はかつての姿とは少し変わっていた。頬は痩せこけ、何かにつけて憎まれ口を叩いていた祖母のかつてのエネルギッシュな姿はなりを潜めていた。

それから、まとまった休みがあると、介護施設で過ごす祖母の元に顔を出すようにした。会う度に祖母は花が咲いたような満開の笑顔を私に見せ、色々な話をしてくれた。「忙しいのにわざわざ来てくれてありがとう」と何度も何度も同じことを言った。

振り返れば、祖母は昔から本当によく自分を可愛がってくれた。孫の中で自分が一番若かったこともあるかもしれない。私はよく、祖母の家に行きたいと駄々をこねては、独特な香りがする祖母の家で一緒に蕎麦を食べ、テレビを見て、豆電球の灯った天井を眺めながら眠りについた。えもいわれぬ、心地良い安らぎを感じると共に、少し「大人」になった気がした。

社会人になり、数年の時が経ち、慌ただしさは輪を掛けるように増していった。目の前の仕事に忙殺され、テンポの速いメトロノームのような無機質な日々を過ごした。祖母と顔を合わせるのは年に一度の帰省時だけ。会う度、祖母の力強さは失われていった。

ある仕事が佳境を迎えていた時、祖母が亡くなったと連絡があった。私は葬式には行けなかった。いや、行かなかったのかもしれない。当時の私は、目の前の仕事を完遂することが祖母のためになると思っていた。いや、思い込ませていたのかもしれない。今でも、葬式に行けなかった後悔が頭の片隅に残っている。

今年、生まれて初めて一人で墓参りをした。勝手もよく分からないが、子供の頃の大人たちの姿を思い返し、見よう見まねで祖父母の前で手を合わせた。何だか少し、「大人」になった気がした。